ウェブがかり

アナログ好きですがウェブの仕事してます。ウェブの話、日頃の話をつれづれと。

人を育てる、という傲慢について考えてみた。

こんにちは、ウェブがかりのサチコです♪

 

今年の春くらいから「人を育てる」ということについて考えています。

先日、デスクトップワークスの田口さんのワークショップセミナーに参加しました。

 

懇親会という場を利用して、いろいろ話した中でちょっと考えがまとまりつつあったので、記事を書くことで現状での考えを綴ってみます。

Facebookで田口さんのライブ配信があってるので、聞きながら書くという無礼をお許しください(笑)

 

特にイベントレポートではないですが、気が向いた方は読んでいただけたらと思います。

 

教える側に向いてない人っているよね、という話

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いきなり「人を育てる」って話じゃないってツッコまれそうですが…。

つい最近、

「サチコさんはキャラ的に教えるのはたぶん向かないよ。」

という死刑宣告を受けました。_(:З」 ∠)_チーン。笑

 

どうやら私は自分が思っているほど、相手に「怖い」と思わせることができないみたいです。

つまり、場がしまりにくい。気が緩んでしまう。

 

見た目とか普段の振る舞いとか…全体の空気感も含めて、相手をピリッと緊張させにくいんですね。

だからこそ「怒らせると怖い」と思ってもらうこともできるかもしれませんが。

 

昔、先生や部長が怖いと場の統率が取れていたようにすればいいのでしょうか?

ところが、困ったことに私は場が凍るのとか嫌いです。

人が怯えてる表情とか見たくないし、できれば笑わせたい。

…こんな風に常日頃から思っている時点で、無理難題。

圧なんてそもそもほぼかけられません(笑)

 

ただ、人に何かを教える立場の時は、圧をかけなきゃいけない場面ってあるんですよね。

例えば、怒るではなく、叱る時。

そういう時は、意図的にでも怖い人を演じないといけないのかなと思ったのでした。

 

怒った表情がキャラとしてあまりない方は、

自分では気づかないかもしれないけど「教える側に向いてない人」かもしれません。

淡々と平常の顔で詰められる人は、、、たぶん大丈夫です(笑)

 

失敗を許容する覚悟

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大抵の人は幼い頃、コケて足を擦りむく痛みは幾度となく経験していますよね。

だから大人になるにつれて、いろんな痛みを恐れて無茶をしなくなっていきます。

 

「あれやったら怒られそう」

「トンチンカンなことを言ってると思われたら恥ずかしい」

「わからないって言うのはプライドが傷つく」

 

正直言って、周りからしたらくだらないんですが、本人からしたら至って真面目な理由だと感じているんですよね。

それが逆に大きな痛みを伴うことにも気付けない。

私もそうやって恥をかくのを嫌がり、逆に別の痛みを経験してきました。( ー`дー´)キリッ

 

最近、私自身が若手の研修で必ずと言っていいほど

「今のうちにたくさん失敗してね」と話すようにしたのは、

上記のような尻込みする人がどうなっていくかを目にするようになったからです。

 

大きなミスをど頭からやらかす。

正直、もっと素直に恥を忍んで聞いていれば済んだ話なのでは?

と感じたことも何度かありました。

いま恐れるべきなのは自分の恥じゃなく、クライアントや会社の損失なのだということを、若手の人には嫌という程擦り込んでおく方がいいんじゃないかなと考えています。

 

その代わり、失敗することをある程度は許容することを覚悟しないといけないかなと。

失敗が常に許されない、という状況では誰しもが無難であろうとします。

そして、それが逆説的に大失敗につながる…悪循環ですよね。

 

放置こそが最大の育て方?

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そもそも、「人を育てる」なんて言葉は傲慢なんじゃないかなって感じています。

学びたい人は勝手に学びます。

本でもセミナーでも人でも、いろんなものに触れて、自分の世界をどんどん広げていきます。

 

小学生の頃、母親に「宿題やったの?」と言われるのがとっても嫌だったように、誰でも「勉強しろ」と強制されるのはあまり好きではないのではないでしょうか?

 

ただ…自ら学ばないことが、その後どういうことになるかは教えてもいいのかなと。

学歴では生きていけなくなった日本では、生きる力を学んでいかないといつか困窮します。

私もそれが怖いから、いろんなことを学びたいと思っている、というか焦っている感じです。

求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

マタイによる福音書 第7章7節

これは、アニメなどでも引用された有名な聖書の言葉です。

こうやって突き放すこともまた、より良い育て方という都合のいい傲慢なのかもしれません。